ゴジラ映画をすべて観た人が語るブログ

スマホを横にして見るといいらしいです。

読む価値がない記事

はてなブログあるあるで、記事を更新したらtwitterに公開したいというのがあると思う。

公開して後悔することもしばしばあるねウケるwwww

さて、この記事は公開して後悔しないのかどうなのか。

 

さて、ここからはちょっと読みにくい。

自分がたまにライブを観に行く「でんぱ組.inc」というアイドルグループの成瀬瑛美ちゃん(カワイイ)がなんと写真集を出すということで、それにともない写真集にサインをしてくれるという、いわゆるサイン会イベントが発表された。サイン会イベントに参加するためのチケットを入手するためには、平日の昼間から並ばないといけない。ていうか、早朝から。自分は不規則で神出鬼没な仕事をしているおかげで、ここは運がよく並ぶことができた。自分の前に並んでいる人のひとりが、どうみても転売屋という「いでたち」で、これは修羅場になるんだなと覚悟を決めた。知り合いのヲタクも続々と来て、並んでいる時間は苦痛ではなかった。こういう列というのは、知り合いがいない完全に単騎というか「ぼっち」だと時間がたつのが遅くてしかたがない。知り合いのヲタクにマジで感謝するしかない。そんなカンジで開店時間になりヲタクたちがサイン会の券をどんどんと買い、買い終わったらすぐに列に並びなおすという、いわゆるループを繰り返す。当初の予定では3ループできれば御の字だと思っていたら、3ループしたところでサイン会の券の色が変わった。その券には「サイン券②」となっていた。まさかの2部制で転売屋乙wwwwウケるwwwwと思ってループを続けていたら、また色のちがう券が出てきた。 「サイン券③」!!!! さすがに自分もこれは予想してなかった。そして、これがいちばん重要で、この記事を読んでいるようなヒマをもてあましているような人にはどうでもいい情報だが、自分は当日のサイン会の日は仕事である。運がよく定時で仕事が終われば参加できるというレベル。しかし、診断メーカーで有名なクソ野郎は自分とは逆にバイトがあるので早い時間の券がほしいというので、自分の手持ちの1部をぜんぶ2部に交換してもらった。そして自分は2部の券を8枚かかえた状態だったが、3人のキモチ悪いお友だちには代行ということで譲らせてもらった。残りは5枚。ここで、お守りとして1枚を手元に残して、信用できるキモチ悪いお友だちに4枚をゆだねた。もし、自分が当日に行けなかったらキモチ悪いお友だちで使ってほしい。そのとき、ちょっとでも自分の名前を出してくれたら、うれしいなあと思う。っていうか、出してよね(怒) そういうことを頼めるキモチ悪いお友だちがけっこういるという、いまの状況がうれしいね。なんかツイプラとかで企画しても、ぜんぜん人が集まらないのとかを見ると、すごく悲しい気分になるじゃない。でも、自分が集めようとしたら、わりとけっこうガチでけっこうな人数が集まってくれるんじゃないかという気がしてきた自信過剰マジでクソ。

 

というわけで、なにかおもしろい企画を思いついたので、なにかするかもしれません。

そのときは、キミもアナタもオマエも貴様も卿も参加してくれよな!

 

てってれ~♪

 

ende

絵は続けていれば、ぜったいにウマくなる。

絵は、続けていれば、ぜったいにウマくなる。

 

そして、どんなにヘタクソな絵でも、SNS全盛の時代は積極的に公開していったほうがいい。

 

あの松田聖子だって、最初はO脚丸出しでテレビに出ていた。

 

「見られている」という意識があると、自分を磨く必要性を感じるんだと思う。

 

絵を仕事にしたいと真剣に思ったら、まずは毎日SNSに2年間くらい投稿してみるといいかもしれない。

 

それで有名イラストレーターになった人を、知っている。

 

「継続は力なり」ということわざ、自分はあまり好きではない。

 

しかし、このことわざの効果はホンモノだと思う。

波乗りピカチュウ

最近、いろんな人がブログを開始して、とても楽しい。

 

はてなブログに関していえば、自分が読者になっているブログは確実にまちがいないブログなので、ブログ初心者はぜひ参考にしてほしい。

ひとくせもふたくせもある連中ばかりだ。

 

さて、いろんな要素が組み合わさって、twitterのTLが荒れまくっているまま数日が経過した。

 

しかし、荒れれば荒れるほど、インターネット情報強者というのは強い。

まさに大海原をかけめぐる海賊になった気分である。

 

こうなると一発屋が強い。

というか、信用がおける。

 

格闘ゲームで例えれば、1ゲージたまるたびにEX技を小出しに使うタイプよりも、3ゲージためてから超必殺技をぶっぱなしでもいいから確実に決めてくるタイプ。

 

麻雀で例えれば、とにかく泣いて自分のツモ回数を増やすタイプよりも、ずっと沈黙していていきなり四暗刻単騎をツモ和了るようなタイプ。

 

オナニーで例えれば、毎日そのへんの動画でシコっているタイプよりも、たまに出現する神動画で一週間たまったモノをまとめて出すタイプ。

 

いや、最後の例えは蛇足だった。

 

近所付き合いにしても、いろんな家の事情に精通しているババアとかいるじゃない。

やれ、あそこの家の主人は毎晩帰りが遅いだとか、あそこの主婦は毎日どこかに遊びに出かけているとか。

 

ああいうのは事情通ということで一目置かれるかもしれないけど、自分の家のこともほかの人に言われていると思うと、ぜったいに親しくしたくないと思う。

一目置いているの意味合いが、ちがう。

 

自分なりに表現すれば「キモチ悪いお友だちには、なりたくない」

 

このブログでは何度も言っている気がするが、ドッシリと根っこを持った人は信用できる。

すぐに流される人とは、やっぱり腹を割って話すことはできないよね。

 

思考が違っていてもいいのよ。

敵対するような思考の持ち主だってウェルカム(ただし、ストーカー以外)

 

ただ、影響力がある人にすぐ迎合してコロコロ言っていることが変わる人は、どうしても信用できない。

 

と、グダグダ書いてきたけど、べつにここ数日でなにかがあったというわけではなく、数年前から思っていることなんだよね、これ。

 

こういうことを書くと、twitterのエアリプと同じで「自分のことかも・・・・」と不安になる人が多いと思う。

 

でもこれって、ある特定の人について言及しているわけではなくて、そういう人が多いよねという話なんだよね。

 

言いたいことは、ひとつだけです。

 

推すなら推しをまっすぐ見て推そう。

人の目とかを気にしてたら、たぶんそれは、推していない。

 

以上です。

『銀河英雄伝説』というアニメの話

もちろん前提として、最低限の知識は必要だろう。

 

たとえば、海辺に住んでいる自分がいるとする。

ここで、大地震が起きた。

いままで経験したことのないような大きな揺れに不安を抱くわけだ。

 

ここで「地震が起きたら山は危険だから海に逃げろ!!」とだれかが叫んだとする。

それを聞いたらすぐに信じて海に逃げると、地震によって起きた津波に飲まれて死んでしまうわけだ。

 

これは「地震が起きたら津波が危険だからできるだけ高い場所に避難するべし」という知識があれば、ウソだと見破れる。

これが、必要な最低限の知識。

 

しかしこのごろは、最低限の知識もないのに、声の大きな人にすぐに影響されて右往左往してしまう人が多いのではないか。

 

銀河英雄伝説』という、とてもおもしろいアニメがある。

このアニメのナレーションがとても味わい深い。

 

だいたい1話ごとの最後に「このあとどうなるのかは、後世の歴史家だけが知る」と締めて「てってれ~♪」という効果音が鳴って終わる。

 

そう。

なにがどうなるのかなんていうのは、当事者以外にはわからないのである。

そんなものは、すべてが終わったあとに、その記録を冷静にひろいながら編纂する歴史家だけが語ればよい。

 

「いま」というメイルストロームを生きている人たちは、その状況を笑って嘆いて怒って泣いて病んでいればいい。

それが最高の楽しみかたであり、そいつらだけに許された最高のぜいたくである。

 

そいつらが「いま」を語るのはダサい。

最高にダサい。

 

 

つきあいたい女性とデートで飲み屋に来ておいて、フードとドリンクのラストオーダーの時間を気にするくらいダサい。

 

語ってる時間なんか、ない。

一喜一憂して大騒ぎする時間しか、ない。

 

 

声の大きな人にすぐ影響される人

なにか語りたい人

 

いままで自分がネットに残してきたモノを振り返ってみたらどうだろうか。

おそらく、そのときそのときに応じて自分に都合よく振る舞っていただけなのではないかな。

 

ドッシリとポリシーを貫いている人というのは、自分と考えが真逆の相手でも意外と尊敬できたりするものだ。

ポリシーが感じられない自分の主張が見えない人というのは、どうしても上っ面だけだというのがわかってしまい、あまりお近づきになりたくない。

 

以上、『銀河英雄伝説』というアニメの話題でした。

原作小説もいいけど、自分はアニメのほうがおもしろいと思う。

 

~ende~

 

 

エロゲー懐古厨プレイ『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』005(終了)

さて、ゴールデンウィークも最終日。

ようやく、YU-NOの達成率100%に到達した。

 

当時クリアした感想

「壮大なスケールのストーリーすげー! (理解できなかった)」

 

今回クリアした感想

「むずかしい理論はいまも理解できないけど、消化不良感が大きい」

 

YU-NOのあとに、いろんなゲームを経験してしまった現在の自分には、どう評価すればいいのかわからない。

というのが、正直な感想である。

 

まず、自分と同じく当時にプレイした連中は、まちがいなく神ゲー評価をしたと思う。

 

しかし『シュタインズゲート』のような化け物ゲームを経験してからプレイする人は、評判のわりには肩すかしをくらうのではないだろうか。

 

「今でも人生の中でいちばんおもしろいゲーム」

YU-NOを超えるゲームはない」

 

そんなことを言っている人も多い。それは否定しない。

 

これは、自分が『餓狼伝説』が好きになれなくて『ストリートファイター』が好きな理由と同じなのかなあと感じた。

 

すなわち「フロンティア精神」である。

 

最初に踏み込んだモノは強い。

その勇気をほめたたえたい。

 

話を戻す。

 

当時のエロゲーはアドベンチャー形式が多かったが、そのアドベンチャー部分は、エッチなグラフィックを表示させるまでの障害でしかなかった。

 

理不尽な選択肢、途中でセーブできない、セーブ地点をまちがえるとクリアできない、なぜか男のハダカ画像を見せられる。

 

もう、ホントにそんなゲームだらけであった。

 

そこに、重厚なシナリオを持ち込んだYU-NOの功績は、大きい。

 

泣きゲー」というジャンルも発生した。

泣けるシナリオのゲームを、エロゲー売り場に買いに行くという謎の現象が発生した。

 

そして、自分だけではないと思うが、エロゲーをプレイしているのに、肝心のエッチなシーンはリターンキーを連打して読まずに飛ばすという不思議な行為。

 

そう。エロゲーなのに、エロ要素は完全にオマケと化していた。

 

話を戻す。

 

エロアドベンチャーゲーム界を変えたYU-NOの功績はデカい。

これは、くつがえされることのない事実である。

しかし、いまのゲームに慣れた人がプレイしてもおもしろいと思うかどうかは疑問が残る。

 

そう。

古いゲームと最新のゲームを絶対客観的に比較するのは、不可能なのである。

 

たとえば、自分は『ウィザードリィ』という昔のRPGが大好きだったし、いまでも好きである。

このゲームは、いわゆる3Dダンジョンタイプのゲームのはしりだが、当時プレイしていた人たちは、自分も含め方眼紙に鉛筆でマップを書いていた。

まさに、一歩ずつ行動範囲を広げていくのである。

 

しかし、いまの3Dダンジョンタイプのゲームには、オートマッピング機能が搭載されているのが常識である。

これがあると、とりあえずガンガン先に進んでみて、ヤバくなったらマップを見て戻ればいい。

 

同じ3Dダンジョンタイプのゲームでも、ゲーム性が完全に別モノになる。

 

そして、自分も含めそういった古い名作ゲームのリメイクが出ると、原作ファンはほぼ確実にバカにするのである。

 

「マップを自分でつくって開拓するスリルがなくなった」

「こんなにヌルくなったら遊ぶ意味なくねwwww」

 

いや、リメイクの話をしたいわけではない。

話を戻す。

 

自分はただ、懐古厨プレイをしたいだけなので、どうしても昔のゲームを高評価しがちになりそうだ。

そこは、気をつけるようにしたい。

 

そろそろ、まとめよう。

 

『この世の果てで恋を歌う少女YU-NO』の懐古厨プレイ、終了。

 

プレイ時間は約90時間

まさに「開拓者」として評価されるべきゲーム。

後発ゲームに与えた影響は絶大なのではないだろうか。

自分は思い出補正があったのでかなり楽しめたが、初プレイだったら投げてしまっていた可能性が高い。

 

つまり、YU-NOを楽しめる自分と、YU-NOを途中で投げる自分がいるわけだ。

そして、学生時代にプレイした感想と、オッサンになってからプレイした感想を見比べている自分がいる。

 

これこそまさに「並行世界」である。

 

おあとがよろしいようで。

エロゲー懐古厨プレイ『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』004

さてはて、ずっとYU-NO漬けである。

 

宝玉セーブした地点に戻ってから再度宝玉セーブをするのを思い出してから、攻略がグッとラクになった。

 

当時、ホールの掲示板で現在の座標を表示される意味がわからなかったが、いまもわからない。

あまり考えなくてもいいのかもしれない。

 

センチメンタルグラフティ』で最後にだれとでもエンディングを見られるデータをつくったときにくらべれば、まだ楽勝だと思う。

 

これをクリアしたら、つぎはもっとカジュアルなエロゲーの追善をしたい。

ゴールデンウィークも残り3日。

なんとかなるか?

エロゲー懐古厨プレイ『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』003

途中で宝玉をすべて使ってマップが開けなくなるという、YU-NOあるあるミスもしてしまったが、ある程度の分岐をバラバラに進んでかなりのハマり状態になってきた。

 

当時は攻略サイトなんてなかったので(あったのかもしれないが)、効率プレイをするのはかなりむずかしかった。

当時の雰囲気を思い出しながらプレイするのも、いいものだ。

 

もうこのゲームをプレイするのは最後にするつもりで遊んでいる。

苦労するのも体験のうちである。

 

亜由美さんの部屋で木刀を見つけたときに、ハッキリとそう思ったのである。

 

いまはブログを書いている時間すら惜しい。

 

ゴールデンウィーク中には、クリアしてしまいたい。

 

 

 

エロゲー懐古厨プレイ『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』002

プロローグをクリアしたあとは、なんとなく話を思い出しつつ先に進む。

 

ここで以前にプレイしたときも意味不明だったバグ? を思い出した。

 

20ページ目の書類を亜由美さんに渡したあとに茂みを探すと20ページ目の書類が見つかるのである。

 

20ページ目の書類を渡しても、渡してないことになって話が進んでしまう。

 

いわゆる「宝玉セーブ」を使って何度か確認したが、やっぱりおかしい。

 

とりあえず、こんな序盤で気にしては追善にはならないので、どんどん進めることにする。

 

そして、これはもう何年も前から感じていることだが「ノベルゲー」「ギャルゲー」「エロゲー」においてのボイスは完全に自分にとっては不要である。

 

文章を読む速度というのは、人それぞれだろう。

すごいシーンではテンションが上がって読む速度のテンポが重要だと考える。

 

ここに特徴的な語尾のキャラクターがフルボイスで登場すると、自分はイライラしてしまうのである。

 

思い出すと、家庭用ゲーム機に移植されたエロゲーもボタン連打でぜんぶボイスを飛ばしていた。

だからどうのこうのというわけではない。

フルボイス化がうれしい人も当然いると思う。

 

需要があるからフルボイスがある。

 

それだけのことだ。

 

 

エロゲー懐古厨プレイ『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』001

というわけで、例のブログに刺激を受けたので、若いころにやったエロゲーの懐古厨プレイをしてみようかと思う。

 

第一弾はまず『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』である。

 

理由はとくにないが、好きだったゲームは後のほうにとっておきたい。

かといって、最初にマイナーなエロゲーというのも考えものである。

かなり有名かつ、自分はそこまで好きでもないタイトルである。

 

このゲームについて

いわゆる時間移動並行世界モノ。

と言っては乱暴すぎるだろうか。

シュタインズ・ゲート』をプレイしたとき、このゲームを思い出した記憶がある。

 

当時の自分は頭がかなり悪かったので、理解できない文章がかなりあった。

そのため、クリアした記憶はあるが、話の内容はほとんどおぼえていない。

とはいえ、頭は歳をとったからよくなるわけでもない。

今回もわからない単語がメチャクチャ出てくるシーンは飛ばしてしまいそうだ。

 

カジュアルにサクッとクリアしたい。

 

ゲーム設定

文章表示速度は「速い」

壁紙は「2」

主人公の名前「たけぴょん」

 

始めてから名前が「有馬たけぴょん」となってしまい違和感。

しかし人生は短い恋せよ乙女。このままで続ける。

 

プロローグまでをクリア

おそろしいことに、登場するキャラクターすらおぼえていない。

これはかなり新鮮な気分でゲームを楽しめる気がしてきた。

とりあえずプロローグはクリア。

 

ものすごいブログを見つけてしまった。 「ヤバい」じゃない。 「すごい」だ。

先日、ものすごいブログを見つけてしまった。

ゲームの追善」というブログである。

 

なにがすごいかというと、自分が高校生のころに挑戦して挫折したパソコンゲーム

「トンネルズ&トロールズ カザンの戦士たち」をクリアするまでの記事が詳細に書かれているのである。

 

 

 

ここで、昔話をさせてもらう。

 

同名のTRPGテーブルトークRPG乱暴に説明すると紙とサイコロで遊ぶゲーム)が原作で、コンピューターゲームになっても、そのアナログ感が満載。

 

どんなにレベルを上げても町の人との会話で選択肢をミスると即死したり、時間や食料の概念があるので、食料が尽きると餓死もありうる。

もっとも食料が尽きる前に会話の選択肢で死んでしまうから食料の心配はあまりしなくてもよい。

 

そんな危険なゲームにもかかわらず、セーブスロットはたったのふたつだけ。

 

たとえば、セーブスロット1には下水道に入る前のデータがあるとしよう。

下水道に入ってすぐに、セーブスロット2にデータを保存。

 

下水道の中であやしい像を発見したとする。

ここで、何があるかわからないとセーブスロット1にデータを保存すると、まずこのゲームは詰んでしまうのである。

 

保存するならセーブスロット2の一択だ。

なぜなら、いまのキャラクターの状態で下水道から出られるという保証はどこにもないからである。

 

あやしい像を見て、何があるかわからないからセーブするのではなく、下水道の入り口を見てセーブしなくてはならないのだ。

 

つまり、下水道に入ってからの行動に失敗したら、下水道に入ったばかりの地点からやり直さなくてはならない。

 

当時このゲームに挑戦して何度もやり直していた自分は、なにかやり方がまちがえているのかとさんざん悩んでいた。

インターネットもなく、そこまで売れたゲームでもなく、まわりにもやっている知り合いがいない。

 

フロッピーディスクが擦り切れるんじゃないかと不安になるほどセーブとロードを繰り返しても、ぜんぜん進められない。

すこし先に進めても、すぐに即死イベントが発生する。

 

レベルが上がっても強くなったという実感がまるでない。

 

そして、このゲームにはかなりしっかりとした攻略本も存在した。

しかし、想像できないかもしれないが、このゲームは攻略本を熟読しても先に進めないのだ。

 

最初の町で起きるイベントを思い出すだけでも、これくらいキツい。

 

  • 町の人が突然難癖をつけてきて戦闘シーンになり全滅。
  • 「なにやら声が聞える」という小屋に近づくと腕が切断して異種族の腕を移植するハメになる。
  • 下水道に入ると悪魔が現れてサイコロ勝負をしかけてくる。拒否できず、勝つと宝石がもらえて負けると死ぬ。
  • 下水をボートで進んでいるとモンスターがボートをひっくり返して戦闘シーンになるが、防具を身に着けているとおぼれてしまう。
  • 下水道からの出口から飛び降りるという行動を選ぶと、ほぼ死ぬ。
  • 無事に下水道から町に戻ると少年が「近くに親がやっている安くていい宿があるんだ! 荷物を台車に入れて運んであげるよ」と話しかけてきて、ついていく選択をするとそのまま少年は台車ごと逃げてしまう。

 

ちなみに戦闘シーンは四角マスを移動して戦う単純なシステムだが、飛び道具や攻撃魔法は、射線に味方がいるとそこに命中する仕様となっている。

 

単なるクソゲーなら、アッサリとやめていたんだろうが、このゲーム、なんとなく不思議な魅力があって、何度も何度もやり直していたが、けっきょくクリアはできなかった。

何度もやり直した理由は、自分が元ネタのTRPGが好きだったからだろう。

 

昔話は、ここでおわり。

 

 

この攻略本を読んでもクリアできなかったゲーム、このブログの人もこう書いている。

 

攻略本を持っているにも関わらずあきらめたゲームはほかにない。やったことのある人には驚きではないだろう。そういうゲームだ。

 

ここに、そのブログの「トンネルズ&トロールズ」を攻略した記事のリンクを貼る。

読みごたえはバツグンである。

 

memorial4game.net

 

 

どうだろうか。

約40にもおよぶ攻略記事。

ものすごく楽しかったのではないだろうか。

 

いや、おそらく、そんなことは、ない。

ほとんどの人が「意味がわからない&まったく興味がない」のではないだろうか。

というか、最初から最後までぜんぶ読んでくれた人は皆無だろう。

 

このブログ、ゲーム画面のスクリーンショットがいっさい出てこない。

なので、プレイした経験がある人にしか読んでもさっぱり理解できないはずだ。

 

自分はこの攻略記事の文字だけで、ゲーム画面が頭に浮かんでくる。

そして、高校生のころの自分がひたすらセーブとロードを繰り返していたのは、まちがいでもなんでもなく、クリアするためには必須の行動だったということが、わかっただけでも、ありがたい。

 

この攻略記事を最後まで読んで、自分もやりたくなってきたが、環境をそろえるだけで厳しそうだ。

 

最初は、このゲームをクリアした人がいるんだなあと感心しているだけだったが、この「ゲームの追善」というブログをいろいろ見ていると、とても心を揺さぶられる記事に出会った。

 

それが、これだ。

memorial4game.net

 

かなりの時間をゲームに費やしてきた。それにもかかわらず、買ったけれども手をつけていないゲームや、手はつけたが最後までやっていないゲームや、かなりやりこんだはずなのに心残りのあるゲームがある。あると言うよりも、ほとんどがそうだ。

これが最後という覚悟で、昔のゲームをやってみる。あわせて記録も残そうと思う。

なぜこういう気持ちになったのだろうか。残りの人生をあせる気持ちがあるのかもしれない。ゲームにハマったことを後悔する気持ちがあるのかもしれない。よく分からないがやれるだけやってみる。

 

 

これは20代や30代の人には、けっして理解できない感情だと思う。

 

そして、このブログの人は、これからクリアするつもりのゲームをリストアップしている。

memorial4game.net

 

このリストを見て、自分は完全にこのブログのファンになってしまった。

自分がやっていたゲームと時代がとてもかぶっている。

 

あと、これはどうでもいい情報だが、自分はこれまでも気が向いたときには「T&T カザンの戦士 クリア」みたいなカンジでググっていた。

少なくとも、2年前まではこんなすごいブログは出てこなかった。

 

と思ったら、このゲームをクリアしたのは2016年の年末か。

すごいよ。ホントにすごい。

 

今後クリアする予定のゲームにも、自分の大好きだったゲームがかなりの数リストアップされている。

 

シムシティ

ポピュラス

ダンジョンマスター

プリンセスメーカー

ロードモナーク

大航海時代

「マスターオブモンスターズ2」

DIABLO

「電車でGO!」

「卒業」

魔導物語1-2-3」

ファーストクイーン2」

 

まず「ダンジョンマスター」に関しては、自分は日本では10本の指に入るくらいはプレイ時間が長いと自負している。

いままでやってきたネットゲームすべてのプレイ時間を足しても、ダンジョンマスターのプレイ時間にはおよばないと思う。

このゲームは、リアルタイム3Dダンジョンアクションゲームで、マップの構造が個性的なので、キッチリとマッピングしなくてもクリアできる。

このブログの人がプレイを開始するのが楽しみだ。

 

「ソードダンサー」がリストに入っているのも興味深い。

これは戦闘シーンがスト2そっくりの格闘ゲームというRPGで、パソコンのキーボードでガイルのサマーソルトキックと同じコマンドを要求されるという、すごいゲームだった。

 

 

あたりをリストアップしているので、このブログの人はおそらく自分の年齢から2歳下から15歳上だと推理する。

 

ロードモナークに関しては、以前このブログでも記事にした。

ホントにおもしろいゲームである。

 

そして、このブログのすごいところは「人に見てもらいたいという意識が皆無」なところだろう。

まず、コメントをする場所がない。

連絡先も見当たらない。

 

また、画像がまったくないうえに白地に黒テキストなので、職場でも堂々と読めるのもポイントである。わかっている。

背景が黒いゲーム系のブログは、職場で見るとあきらかにサボっているのがバレバレなので、背景は白にしてほしい。

 

自分はちょっと前に、ネットで「でんぱ組.inc」というアイドルグループの動画を観て衝撃を受けて、直接観てみたいと思って大阪までライブを観に行ったことがあるが、このブログの人には、それと同じモノを感じた。

 

このブログの人と会ってみたい。

正直なキモチである。

 

趣味の世界においては、すこし会話するだけで相手のレベルがある程度わかってしまうと思う。

とくに、頭でっかちの知ったかぶりは、すぐにバレる。

ネットで調べれば出てくる知識と、実際に体験した知識は、ぜんぜんちがう。

 

ファミコン版の「カラテカ」「バンゲリングベイ」「スペランカー」あたりに顕著だがこの3本のゲームは、けっしてクソゲーでは、ない。

クソゲーだと吹聴しているヤツには「どこがクソゲーなんだ?」とぜひ聞いてみてほしい。

 

カラテカ」で最初にうしろに下がって死ぬのは、それ専用のグラフィックが用意されているのがすごいでしょ。

バンゲリングベイ」をクソゲー呼ばわりする人は、たぶん実際にプレイしたことがないんだと思う。クソゲー要素ナシ。

スペランカー」ですぐに死ぬのは仕様だと製作者が明言している。

 

ホントにクソゲーなのは「バツ&テリー」とか「スーパーモンキー大冒険」である。

擁護する要素が、ホントにない。

 

話が飛んだ。

 

もしこのブログの人と会う機会があったら、自分は正直に自分の知識で勝負したいと思う。

たぶん、ぜんぜんかなわないと思う。

 

そして、このブログの人から見たら、自分もこう思われるにちがいない。

「この人、ゲームにくわしいって自称だけど、ぜんぜんわかってないなwwww」

 

とにかく自分は、このブログの更新が楽しみで、しかたがないのである。