「在宅」という言葉がゴジラに与えるたったひとつの影響
世の中にはSE(システムエンジニア)という職業がある。
どんな仕事かというと、文字通りシステムをエンジニアリングするのである。
これがまた厄介な仕事で、システムをエンジニアリングするためには、多大な才能と労力が必要とされる。
はたして、システムエンジニアの仕事を理解している人間がどれだけいるのか。
みんな、もっとシステムエンジニアには感謝したほうがいい。
ここでよくわからないのが、システムエンジニアが毎日1時間かけて職場に出勤するという現象だ。
なぜシステムエンジニアが通勤電車に揺られないといけないのか。
家にいながらシステムをエンジニアリングすればよいのに。
いわゆる在宅ワークでいいのではないか。
どうしてシステムエンジニアが在宅でも仕事ができるのかは、各自で調べてみてほしい。自分もよくわかっていない。
そこで、ゴジラである。
アイドルを応援するファンのあいだでは、ライブに行かないファンのことを「在宅」と呼ぶ風潮があるらしい。
なるほど、ウマいことを言う。
このブログの主旨は、「シンゴジラを完全に理解するためには過去のゴジラ映画をすべて観る必要がある」というものだ。
いまシンゴジラを観た感想を戦わせている人たちに追いつくためには、とにかくゴジラ映画を観るしかない。
しかし、ネット動画で過去のゴジラ映画を観るというのは、先述の「在宅」に他ならない。
そこに気づいた自分は愕然とした。
初代ゴジラが公開されたのが1954年。
つまり、1954年からすべてのゴジラ映画を劇場で観てきた人以外は、すべて「在宅」になってしまうのだ。
先ほどのアイドルファン界隈での「在宅」という言葉は、それなりに相手をバカにした呼称のようだ。
「在宅がなにをエラそうにwww」のように使われるらしい。
自分がもしシンゴジラを観ることができても、それまでに得た過去のゴジラ映画の知識は、すべて在宅である。
なので、そのあたりはわきまえて、ゴジラ全通勢には敬意を表しつつ、議論をしたいと思う。