『銀河英雄伝説』というアニメの話
もちろん前提として、最低限の知識は必要だろう。
たとえば、海辺に住んでいる自分がいるとする。
ここで、大地震が起きた。
いままで経験したことのないような大きな揺れに不安を抱くわけだ。
ここで「地震が起きたら山は危険だから海に逃げろ!!」とだれかが叫んだとする。
それを聞いたらすぐに信じて海に逃げると、地震によって起きた津波に飲まれて死んでしまうわけだ。
これは「地震が起きたら津波が危険だからできるだけ高い場所に避難するべし」という知識があれば、ウソだと見破れる。
これが、必要な最低限の知識。
しかしこのごろは、最低限の知識もないのに、声の大きな人にすぐに影響されて右往左往してしまう人が多いのではないか。
『銀河英雄伝説』という、とてもおもしろいアニメがある。
このアニメのナレーションがとても味わい深い。
だいたい1話ごとの最後に「このあとどうなるのかは、後世の歴史家だけが知る」と締めて「てってれ~♪」という効果音が鳴って終わる。
そう。
なにがどうなるのかなんていうのは、当事者以外にはわからないのである。
そんなものは、すべてが終わったあとに、その記録を冷静にひろいながら編纂する歴史家だけが語ればよい。
「いま」というメイルストロームを生きている人たちは、その状況を笑って嘆いて怒って泣いて病んでいればいい。
それが最高の楽しみかたであり、そいつらだけに許された最高のぜいたくである。
そいつらが「いま」を語るのはダサい。
最高にダサい。
つきあいたい女性とデートで飲み屋に来ておいて、フードとドリンクのラストオーダーの時間を気にするくらいダサい。
語ってる時間なんか、ない。
一喜一憂して大騒ぎする時間しか、ない。
声の大きな人にすぐ影響される人
なにか語りたい人
いままで自分がネットに残してきたモノを振り返ってみたらどうだろうか。
おそらく、そのときそのときに応じて自分に都合よく振る舞っていただけなのではないかな。
ドッシリとポリシーを貫いている人というのは、自分と考えが真逆の相手でも意外と尊敬できたりするものだ。
ポリシーが感じられない自分の主張が見えない人というのは、どうしても上っ面だけだというのがわかってしまい、あまりお近づきになりたくない。
以上、『銀河英雄伝説』というアニメの話題でした。
原作小説もいいけど、自分はアニメのほうがおもしろいと思う。
~ende~