1章 1節 『こつぶ』
「ナッちゃん、まだかよ。中に人いるからヤバいって!」
「待って、もうすこしで取れる!」
いつもより時間がかかっている。
「あ、人が来た!」
「よし、取れた!」
ガコン。
「オーちゃんは、なにがいい?」
「え!? いいから逃げないと!」
「はやく選んで!」
「あーあー・・・・じゃあブドウジュース!」
「ブドウジュースはむずかしいから『こつぶ』ね!」
「なんでもいいから!」
「よし、取れた!」
ガコン。
コーヒーと『こつぶ』というオレンジジュースの缶をそれぞれの手に握り、ふたりは自販機から離脱して中央公園に逃げた。
見つかってはいない気がした。
ふたりは下校途中にあるプレハブ事務所の前に設置された自販機から、ジュースを「拝借」するのが日課になっていた。
自販機の取り出し口から手を突っこんで、上のほうにある缶に指を引っかけると、缶ジュースが落ちてくるのである。
ただしこれにはコツが必要なうえ、落ちてきたジュースの缶は、かならずヘコんでしまうという欠点があった。
そのため、缶がヘコんでいるジュースを飲んでいる人を見かけると、ああ、そういうことなんだなとすぐにわかるのだった。
構造上の問題で、自販機の商品ディスプレイで見た真ん中にあるコーヒーはカンタンに取れるが、両端にいくほど難易度が上がり、とくにいちばん左にあるブドウジュースは、かなりの熟練を要した。
「はぁ、はぁ」
「あー疲れた」
コーヒーを取ったら逃げればいいのに、ボクのぶんまで取ろうとするナッちゃんに、ボクはけっして尊敬ではないけれども尊敬に似たなにかの感情をいだいていた。
ボクは、ブドウジュースを取れたことは、一度しかない。
ちなみにナッちゃんよりもボクの腕のほうが圧倒的に長いのに、かなわなかった。
この日に飲んだ『こつぶ』は、人生の中でいちばんおいしい『こつぶ』だった。